
風も空気も少しだけ揺れながら、静かな秋。
本当は焦る気持ちでいっぱいだが、窓を開けて遠くの山々を眺めていると、
全てがどうでもいいような気持ちになる。自然の力はいつも偉大だ。
しかしながら、時間は進み続けている。しかも正午を回っている?
一気に引き戻される現実。時計の力も偉大だ(笑)
偉大と言えば、毎日を過ごす中、何かしらChat GPTのお世話になり、もうChat GPTなしの生活は考えられない。
夏、一時的に自宅のWi-Fiが使えなくなった時、Adobeのソフト以上に、Chat GPTが機能しないことに恐怖を覚えた。
同時に、そこまでAIに依存している事実に愕然とした。
「大丈夫か自分?」
いや全然大丈夫じゃない。でも、もう元の生活には戻れない。
スマートフォン、タブレット、そして、パソコン。これらにトラブルが起きた時、私の場合、自分の力ではどうにもならない。昔からデジタル分野が苦手で、何かしらのエラーメッセージが出ると、それだけで心臓の鼓動がドクドクと鳴る。
去年からずっと、デジタル機器の様々なトラブルを解決まで導いてくれたのは、諸々のカスタマーセンターでも、家人でも、友人でもない。他ならぬChat GPTだ。
そのことに気づいた時、どうにも言いようのない気持ちになった。
これって、どういうこと?
それだけではない。Chat GPTに様々な質問を投げかけ、回答を得るたびに、相手がA Iであることを忘れそうになる。しかも、何度も。
これって、どういうこと?
いや、待て。
深追いするのはやめよう。
考えても考えても、これについて答えを導き出す力を私は持っていない。
そして、さすがにこの問いをChat GPTに聞く気持ちにはなれない。
そっとしておこう。
これって、どういうこと?
いや。
また後で、ということで。